Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

異端審問官じゃない方のトルケマダ

 

異端審問官の方のトルケマダについては日本語ウィキペディアにもあるのに枢機卿にして教会論で有名なトルケマダ(Juan de Torquemada)の説明はない(ちなみに異端審問官のトルケマダの叔父にあたるのであるが)。公会議の時代における彼の議論の意義について勉強する前に

http://kannektion.hatenablog.com/entry/2020/04/14/192354

 上の記事で紹介したAntony Black, Political thought of Europe 1250-1450, のpp. 80-85あたりにおける説明を見る。
 

 

 

 彼自身はSumma de ecclesiaCommentarium super toto decretoにおいて教皇主義的な立場と世俗主義的な教義の中間の道を歩むと主張している。彼は教皇がprincipatusの権利に基づいてキリスト教世界の内部問題についてのjurisdictioを有すると説明しているが、それは「罪の矯正、平和の保持そして永遠の救済へと信徒を導くため」のものに限定されるという。教皇はadministratioを行うものであり、教会のdominusではないという。更にダンテと同様に霊的権力と世俗的権力を神学的徳と道徳的な徳に対応させている。だがトルケマダは結局前者の優位を主張したうえでそれ「世俗権力を指導、規制、規律し、世俗権力も永年の幸福へと向ける」とも述べる。
 更に各論においては教皇は怠慢に基づき君主を罷免し、臣民の服従義務を解くことが行い得るとの説明にも至っており、信仰の防衛のための課税まで認めている。更には異端的な支配者からの支配圏奪取、不信仰者への戦争の決定が行い得るという主張にも至る。具体的にユダヤ人に対する霊的世俗的刑罰権も導いているのである。結局実際にはイノケンティウス三世的な教皇主義を外交のためにこしらえた二元主義で隠していると説明がされている。

 
 ざっくりとこんなかんじ

 

 そのため後代のカイエタヌスなどは好んで引用したのであろう。そしてビトリア教皇の世俗権力を否定する議論において彼に対する批判的言及を幾度かなしている。ちなみにIzbickiの有名な研究(Protector of the faith)は、トルケマダの理論は同時代の更に過激な教皇主義の主張を抑えていることも示しているので注意が必要である。実際自分も引用したアレヴァロはトルケマダの同時代だが彼もどっこいどっこいかトルケマダ以上の教皇主義者であるし、多分もっと過激な論者もいるんだろう。
 カイエタヌスをいくつか読んだらトルケマダも読んでいかないといけない。ひとまずは専門的な二次文献でもっと詳しく学んでおく。