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研究にあまり関係しない雑記

"Athenian democracy and popular tyranny" By Kinch Hoekstra  メモ

Popular Sovereignty in Historical Perspective, Edited by Richard Bourke, Queen Mary University of London, Quentin Skinner, Queen Mary University of London , pp. 15-51です。

 

アテネの民主主義と人民の専制


注: 今回日本語で専制と表現している箇所に該当する英語は tyrannyである。

 

 

 


 人民主権が紀元前5に出てきたというのは誤っていると多くの人は考えるかもしれない。主権概念や人民主権概念の近代固有性

 初期近代の理論かと古代の関係についての誤解をまず解く というのも初期近代の論者はギリシアとの関連を持っている。ボダン、ホッブズらは主権の無答責性を述べるのであるが。それをギリシアにおけるanupeuthunos いかなる権威にも背金を負わないというギリシアの擁護で答える。そしてその語は古代の著作かにおいては専制の特徴なのであった。初期近代の主権概念と古代の専制の叙述に連関があるということがこれから示される。
 古代ギリシア専制と、初期近代の主権の類似性。事実アテナイにおいて人民の統治を専制の概念で把握することはあった。アテナイをpolis turannos人民をanupeuthunosと形容することもあった。更に人民の権威は専制的、暴政的と表現された。
 近代の論者はどうしたら専制の程度になるのかを問うた。 5世紀の人民は専制的権威を有すると考えられていた。
 政府の役職のコントロールを行い影響を振るっていたという状態は五世紀に既に発展していた。更には「out of control thesis」とデモクラットが必然的に結びついていたとされる。民主主義的な視点では 人民の権力者のコントロールの前提は権力者が人民にコントロールされていないことである。コントロールされていたりされていないことの両方が必要?turannos こそが、kuriosよりも主権と比較するに相応しい。キュリオスは人民のコントロールの下にあるが、誰かが彼に支配されていないことを意味しない。それは高次の法的政治的権威によって制限され保障されているものであった。人民のキュリオスでありつつ別の人の支配の下にあることも可能であり、多数のキュリオスがいた。それと比べると専制者は至高であった。
 専制の歴史を見ることで、デモクラシーー、人民主権への、コンフォートゾーンを飛び抜ける知見が得られる。
2 古代アテナイの行政官はチェックされ人民に責任を負う存在であった。hupeuthunosな、有責な存在だと言える。それに対して僭主は専制的で無答責anupeuthunosな存在だというのがヘロドトストゥキディデスなどのテクストの前提として読み取れる。
 そして、ボダン、ホッブズ、グロティウス、プーフェンドルフらはギリシア語の援用なども行いつつ、主権者の特徴にその無答責性を期している。それは僭主、君主制の支持に因るものではなく、理論的に人民主権を含意した着想なのであった。 3 アテナイには僭主の出現を予防し、僭主を退ける風潮も存在していたことは確かであり、更に民主制と僭主性は対立するように映るかもしれない。
 だが僭主の特徴である単一性、至高性、恣意的な権力といったものは統治する民衆の特徴でもあった。
 トゥキディデスは3.43において紀元前427年の民会の様子を描いている。そこではディオドトスが民衆の責任を負わない権威について不平を述べているのである。彼はアテナイの指導者に多くの制約が課されていることを問題にし、民衆も同様の決定に伴う責任を負うべきだと述べている。
 そこにおいて民衆がaneuthunosだと形容されたことは疑問に付されない前提として理解されているようである。確かに民主制において行政官はhupeuthunosだとしても、民衆はそうでないのである。
 民衆は単一の存在でないと考えられるかもしれないが、アテナイの著述家達は単一の存在としての正確を民衆に与えていた。そして民衆とポリスの同一視を行った。トゥキディデスにおいてアテナイの人々は行動と決定の主体であり、それはペルシアやマケドニアの民衆とは対比をなすものであった。ポリスそして人民は個人のように情念や深慮に対する能力ないしは無能力を備えるものとされ、更にその統治がturannosの行うようなものであることも描かれている。そしてそれはアテナイに批判的なコリントス人だけでなくアテナイペリクレスなども用いている表現である。この点についてはその用語が支配を被る側にとっては否定的な意味を有するにせよ、実際に権力を振るっている立場の側から見ると好ましい用語とされていたという解釈がなされており、クレオンやペリクレスは権力を有する民衆にとって好意的な表現を用いていたとされる。実際のところは更に複雑で、ペリクレスはそのような僭主的な権力を有していることの自覚を民衆に求めているという側面も備えていた。
 プラトンの著作のカリクレスやトラシュマコス、そしてアルキビアデスなどの主張も、僭主への羨望やそれが好ましいものであるという通念の存在を推察させるものである。同時代のエウリピデスなども僭主を人間の高みにあるものとして描いていた。そのような点を踏まえると更にペリクレスの言はアテナイ人にその権力の大きさを自覚させ、それに伴う被支配者からの嫉妬や羨望といった困難に対処する必要も示唆している。
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 民衆が単一に表象されていたことを芸術作品等を手掛かりにして更に説明している。パウサニアスによる柱廊においてデーモス(擬人化された民衆)のイメージがテセウスや12神と共に並べてられている。そのほかのデーモスの像はゼウスをかたどった成人男性であることが多かった。(ここでは写真付きで図像などが紹介される) ソフォクレスオイディプス王の様々な論点の中で、オイディプスが自身を民衆と同一視している箇所に着目してみる。これについて、ソフォクレスアテナイの民衆に実際に同一視することを勧めているという解釈や、悪い例としてそうしないように主張しているとする解釈があるが、どちらにせよアテナイの聴衆が自身と僭主の関係について考察するきっかけになったことは十分考えられる。その他にもアリストパネースにおけるエウリピデスの発言などが挙げられている。悲劇は統治者の決定と運命を例示することで、民衆にその権威の公使についての教訓を与えていたとされる。

 トゥディデスの事例におけるようにアテナイの民衆は他のポリスに対する僭主として自身を理解することが十分可能であった。さらにアリストパネースの『騎士』においてデーモスが舞台に上がり、despotesとして描かれている事例が興味深い。彼の奴隷はアテナイの指導者だと考えることが出来、それが逃れがたい力を持つ主人だとして描かれている。だがそれは政治家によって操作されうるものとしても描かれていた。デーモスの怠惰さ、貪欲がそれを他人の支配下に置いてしまうことが示唆されている。ここにおいて民衆へ暗示される教訓は権力を抑制することではなく、権力を効果的に用いることなのであった。デーモスの支配に対する批判はその権力の強さではなく、その支配を弱める性向に向けられていた。デーモスが奴隷である政治指導者に支配されているのではなく支配していることが正しいあり方だとされる。それは追従に流されず、堕落を回避し、必要な出費を行い平和を確立することを含んでいた。そのためにも単一の決定主体として自身で決定を下さなければならないということをアリストパネースは示唆している。
 そのような自体を後代のギリシア人は民衆の専制とみなしており、例えばイソクラテスクレイステネスの時代の民主制において民衆は有力者kuriosであるのみならずturannosでもあり、それが真の民主制のありかただとする。デモステネスの演説においても類似の見解が示されており、政治家を支配する民衆か、その逆かという二項対立が前提とされ、その中間形態はイメージされない。
 民衆が政治的に具現化されるのは民会と陪審であった。アリストパネース『騎士』における民衆は民会の権力と同一視され、『蜂』では陪審の権力に着目が行く。そこにおいて怨恨から陪審になる父を陪審から遠ざけようとするBdelycleonの振る舞いが陪審によってturannis esti だと考えられ、更に陪審に加わった父が自分の立場をarkoo toon hapantoonと説明し、至高の地位を有するものとしているのが象徴的である。民衆の権力を損ねようとすることは専制的なものだと考えられると同時に、民衆の権力の絶対性が強調されることになる。陪審の制度的な立ち位置も無答責性を反映したものとなっている。政務官の監視を行うが、彼ら自身は監察されない。父は実際に陪審についてanupeuthunoiな存在であると主張もしている。『騎士』においてBdelycleonは父を支配者ではなくかえって奴隷と成っている存在として非難する。政治家の行動によって民衆は他人の利益に基づいて動く者へと変わってしまいえる。

 民衆を無答責とすることは危険も孕んでおり、『騎士』などにおける議論は外からではない自己コントロールの必要を示唆するものであった。自己統御の制度は紀元前五世紀におけるソースからは見いだしづらい。籤などで選ばれた政務官はチェックの対象であったが、民衆自体はその対象となることはなかった。民衆の無答責性の正当性については、同時代の「旧寡頭制派」と呼ばれる無名の著者による文章から読み取れる。彼自身は民衆への軽蔑を示しつつも、アテナイの民主制を貴族制的理想へ対置される、民衆が支配し支配されない制度、政策実践の組み合わせとして理解している。
 その要点としては、1一部の価値のある人物が議論し熟議するという場合、その集団の利害が先行するため、無知な人物にも発言権を与えること、2無知な人物の善意は有能な人物の悪意に勝ると考えられている。3その政体が最善でないにしても、自己保存のために相応しいのであり、支配されてよく統治されているより、自由に統治するという点が重要であり、悪しき統治kakonomiasの問題に関心がないこと4善き統治eunomiaは民衆の奴隷化を含意している といった点が挙がる。
 このような仕組みは統治分担者全てに人民に対して責任を負わせ、人民自身が責任を負わないことで成立する。(アリストテレスも選挙や後の訴追などの制御する手段がなければ民衆は奴隷化し敵対的になるという見方を示す。 mede gar toutou kurios on ho demos doulos an eie kai polemios) 賢い人物への委託は民衆の支配を覆すのであり、民衆が支配権を保持している実態が保たれた制度が要求されるため、立法、発議、言論、刑罰といった権利は民衆に残されていないといけない。
 前五世紀後半にはeunomiaという法による善き秩序は反民主主義的用語であった。民主主義の批判者は貴族制寡頭制の法に基づいた制度を賞賛していた。だが、民衆に対して法が適用されるならば至高の権威は奪われることになるだろう。クセノフォンの描き出したBC 406における訴追の事例は民衆が制度的制約から解き放たれていることを自覚しており実際その通りに行動していることを示す。

 紀元前5世紀のアテナイを踏まえたアリストテレスの記述を見る。『修辞学』において専制は法などによる制約のない状態(aoristos)であった。それに対し『政治学』は一人による自己利益のための支配とされている。その区別は興味深い。
 『政治学』における専制は主人的な支配であり、王政との対比がなされているというのは有名な事実である。そしてそれは、君主が責任を負わず統治する(anupeuthunos archei)状態だという。それは既に挙げた民衆への性格規定と類似する。専制の性格規定における、自己利益の追求という側面を強調すると、確かに近代の主権概念との類似性はぼやけてしまうのであるが、それは『政治学』の一面のみを重視した結果なのであり、『修辞学』との連続性を重視するならば意味は変わってくるかもしれない。
 ホッブズは誰の利益を追求しているかによる政体分類を拒絶するが、彼の無制約な主権者の要求はアリストテレスの別の面を受容しているのだと言える。
 更に『政治学』三巻においては陪審と民会の参加者について、無制約な役職という名称を与えている箇所が見いだされる(1275a25-31)。当該箇所では先述したようなアテナイの状態の反映だと考え得る。ここにおいてアリストテレスは制約されていないことに着目しており、それは単なる時間の限定がないということ以上のことを意味しているように思われる。時において限定されたり、役職に条件が加わった者は主権者たり得ないということはボダンやホッブズも共有している発想である。
 そして更に確認すると『政治学』第四巻ではよりラディカルな民主政的理念が述べられている。
 「他の種類の民主制はその他の点は別の種類のものと一致するが、法ではなく多数者が権威を持つ。...民主制下のポリスは(一般には)法に基づいており..最善の市民が支配するからである。法が権威を持たない場所ではしかし、...民衆が君主なのであり、それは多数の人間からなる一人の人間なのである。というのも、多数者は個人としてではなく全体となって権威を有するのである(monarchos gar ho demos ginetai, sunthetos heis ek pollon: hoi gar polloi kurioi eisin ouch hos hekastos alla pantes)...そのような民衆は、それは君主制でもあるから、君主的な統治を、法に従うのではなくて、主人ddespotikosになることで支配をするのである。結論として...民主制はこの種においては一種の君主制における専制なのである。」(1292a4-29)そのほかにも君主の追従者と人民の追従者の類似性や、全てに対する権威を有している(demon panton einai kurion)といった点が挙げられている。 民主制において民衆は主権者となり、全てに権威を有し、僭主のようになることがありえるのである。このような視点から読むならば、アリストテレスはラディカルな民主主義者を無自覚に僭主の手に落ちるという点から批判しているのではなく、僭主制を自覚的に志向している点から批判しているのだと言える。
 アリストテレスは民衆の支配がデマゴーグの支配に至ってしまうことを述べている。ただし、アリストパネースの『騎士』において見いだし得るラディカルな民主制において民衆がかえって支配下に置かれる危険については、避けがたいものではないのである。ラディカルな視点においては、アテナイの民衆は個人として僭主となろうとするものに対して敵意を向けてしかるべきなのであった。

 アテナイ人は単一で至高の、責任を負わない政治権力にturannosという両義的な言葉を有していた。もし民衆が自信の利益を自分で管理するならば、それは無制約で責任を負わないものでなければならないのであり、その権威を削ぐような指導者の出現は防がないとならない。主権概念の素材はその名前の下では得られないが、人民は確かに僭主の衣を纏っていたのである。