Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

Cary j. Nederman, The Bonds of Humanity- Cicero’s Legacies in European Social and Political Thought, ca. 1100–ca. 1550, 第1章補遺

http://kannektion.hatenablog.com/entry/2020/06/14/220352

 

上の記事を補うものです。

 

 


 中世ヨーロッパにおいて影響のあったキケロのテクストは、De innventione, De oratore, De republica, De legibus, Brutus, Paradoxa Stoicorum, Orator, De finibus, Tusculanarum disputationum, De natura deorum, De senectute, De divinatione, De fato, De amicitia, TopicaそしてDe officiisである。影響力のある偽作としてはRhetorica ad Herennium, であり、当時から偽作を疑われていたのはGenus optima oratoreである。ただし完全に各著者に伝わっている訳ではない。

 理性、言論そして平等性

 キケロDe oratore(1.31)における、最初の弁論家が存在しなければ人間は永久に野蛮な都市のない状態に留まっていただろうという推測と、と彼による共同体形成の促進という議論

「あるとき、偉大で賢い人間が魂に内在する自然的才能であり、教育を解することで改善すれば大いなる機会を与えてくれる言論の能力を発見し....彼は人々を、言論や理性により積極的に注意を払うために、野蛮で残虐な状態にある動物を飼い慣らされた、親しみやすい動物へと代えた。私は語られない、雄弁を欠いた知恵は人間の習慣を変えて、異なった生活様式をもたらすことはできないと考える」(De inventione1.2-3)

 キケロは理性を人間の連帯の根源だとし、別の時には言語がそうだ都市、更に別の時には両者を挙げる。De finibus2.45においては「理性は人々を彼の本性に向けられた喜びへと促し、言語と習慣と自然的均一性を生み出し、そして個人をうながして友情や家族の感情から発して関心を拡大させ、同胞市民や全ての人類への社会的紐帯を形成させる」それとは対照的にDe natura deorum2.148では「言論の才能を得よ。それによって私たちは正義、法、政治秩序に結びつけられるのであり、それによって残酷で野蛮な状態から抜け出すことになる」。他にもBrutus59では「理性は人間の栄光であり、理性を照らすのは雄弁である」と述べられる。ここにおいては理性と言語はあまり区別されていないと考えるべきであろうか。ただし、キケロもその区別に意識的であり、知恵とその言語による開示が切り離されてしまうことがあることは認識している。哲学は論理的原則、理性的議論の原理に基づいていなければならない。雄弁は真実の探求という目的で規制されなければならない。