Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

Cary j. Nederman, The Bonds of Humanity- Cicero’s Legacies in European Social and Political Thought, ca. 1100–ca. 1550, 序章と第1章

Cary j. Nederman, The Bonds of Humanity - Cicero’s Legacies in European Social and Political Thought, ca. 1100–ca. 1550, 序章と第1章


 序章では、12-16世紀のキケロ主義への着目があまりに弱いことが、近年初期近代や古代という文脈でキケロを丁寧にやってる研究が存在していることと対比して指摘される。そのうえで、キケロ主義なるものを緩やかに捉えることを述べ、それと同時にあらゆるキケロを引用した論者をキケロ主義としてくくる積もりはなく、人間の自然的な紐帯やそれに伴う義務、義務をもたらすsocietasという考えと適合的な議論が行われているものに限定するとも言っている。そして、いわゆる政治的人文主義的思潮だけでなく、皇帝主義といったものとも結びつくキケロ主義の柔軟さを指摘し、影響史というよりは古典の解釈、受容史として捉えることも表明される

 第一章では社会的政治的秩序の基盤の含意にかんするキケロ主義の特性が説明される。人間は連帯する衝動を有しており、それは、内在的であるが発展させなければならに言語能力と結びついているといったことや、理性は神に由来しているが、それが人間の努力によって開花させられる必要があることが特性であるといった議論がその特性である。人間の理性行使による自覚的な共同体形成、自然法に基づいた正義の設立の必要についての認識といったものも挙げられる。その他にも共同体のための自己犠牲や、共同体の善といった価値、それと同時に不偏不党性や友情という価値も指摘される。自身の理性的能力に従って、どの義務がもっとも拘束的か判断するのが人間の特性だとされる。
 人間は自然的に徳へと向けられているのであるが、周囲の環境によって堕落しているという認識が示される。そのため、各人が程度の低い欲求の追求へと向かい、相互の衝突が生じるとされる。このような時点において、それまで人々を結びつけていた同胞に対する感情が失われるのであり、代替の手段が必要となる。キケロのDe officiis 2.41で説明されるように、欲望に基づいて支配関係が生じた場合には、抑圧された側が「性格の優れた人間を王として建て、それにより人民が正義を享受できるようにする。多くの人間が教令集者に支配されている場合に、彼らは顕著な徳性を有している人間に保護を頼むようになる」のである。
 ただし、キケロは無制限の政治的権力が王にに与えられることは危険なことだと認識していた。原始的な王政は正当で善良な人間が王位を有している間は適切に機能してるが、共同体がそのような統治者を生み出し損ねたならば、「同一の声で同時に全員へと要求を行うほうが生み出されることになる。....根本法の存在理由は王の存在理由と同じである。公平な権利が常に追い求められるために存在している」(De offiviis 2/41-42)。法体系が個人的な統治にとってかわるのだが、両者の根幹の目的は同一である。制定法であれ、よき統治者であれ、正義と自然法に一致していなければならない。共同体の制定法はキケロが「真の法」(veri iuris)と説明したものの要求を満たさなければならず、人間の恣意に服してはならない(De legibus 1/42-45)。人定法の目的は正義の規律にかなった形で社会的関係を制御することにあるのであり、私法は自然法に服して、そこから効力を得ることとなる。

 

 そのほかにも演説の能力と政治家の資質、友愛、愛国主義、理性的能力といったものへのキケロの説明が紹介されている。

 キケロの社会、政治に関する理解の多面性は、人間は多くの根拠に基づいて、いろんな種類の人々に対して多くの義務を負っているという彼の認識に由来しているという。だが、キケロはしばしば共同体の善に基づいて行動することが最善であるという主張をを行っている。人間は思索をなすこともあるだろうが、人間の紐帯を守るために共通善に貢献しないとならない。「社会的な衝動に基づいている義務は知識に基づいているものよりも本性的である...正義によって規定された義務は知識の追求や、それによって得られる義務に優先するのである。というのも前者は同胞の人間達に関わるものであり、そのようなものよりも神聖なものだと人の目に映るものはないのであるから」(De officiis 1.153,155)多様な議論の中でも、最終的に政治的生活が哲学に優先するということが彼の議論の確信と言い得るかもしれない。

 彼の思想の多くの要素は、次章以降でみる異なった性格の思想家たちに受け継がれていくことになる。