Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

Harald Maihold, Strafe für fremde Schuld?, Böhlau Verlag, Köln, 2006, pp. 29-37

 

 サブタイはDie Systematisierung des Strafbegriffs in der Spanischen Spätscholastik und Naturrechtslehreです。

 

 

1 公的な刑法の出現


 「近代的」国家概念の形成は罪の原理の発展に寄与してきた。Gerd H. Wächterは彼の刑法研究において「主観的な責任原理は刑罰の国家化の帰結である」という主張を提示している。近代国家の出現による世界の変化に呼応して、社旗における目的、理想、価値といった者が再定義されることとなった。
 別の箇所において教会の理論と実践上の、罪の概念の世俗刑法への仲介や西洋法文化の形成への役割が説明される。重要な貢献はバーマンによる12世紀の「教皇革命」に関する研究であり、それはバーマンが説明するようにヨーロッパの法理解の基盤を作り出した。その他にもMartin Ohstが彼の「告解義務」についての研究で示したように、法学における神学的概念の借用について、フランシスコ会士Angelus de Clavassio(~1495)のSummade casibus conscientiaeが範型的役割を果たしていることが知られている。
 「近代的」な刑の概念は主観的な責任の概念に基づいているのであるが、それは初期近代の国家の出現という条件と同様に同様に教会の伝統に由来する認識に基づいているのであり、対抗宗教改革と領域国家の出現という出来事か生じた16世紀のスペインの学知において、「近代的」刑罰概念にいたる里程標を見いだす事が出来るのである。

 近代的刑法に関する問題を歴史的によく理解するために、「公的刑法の出現」を探求するプロジェクトが執り行われた。そして、1993年の10月より「スペインスコラ学における学識刑法」というものに献身した。

 この研究は「他の人に対する刑罰Strafe für einen anderen」という近代刑法の領域の一部に属する問題についてよりよくとらえるきっかけとなる。主要な焦点は「後期スコラ学」の刑法の教義にあるのだが、それは罪に基づく刑罰という近代的な側面と、罪と関係ない刑罰という前近代的な要素の両方を含んでいる。「他の人に対する刑罰」という考えについての研究は、研究テーマに基づいた断面図をもたらすのではない。その問いは初期近代の法学的神学的テクストの研究の下に浮かび上がるものである。

 「他の人に対する刑罰」という考えについての研究は刑罰概念についての理論的な議論のみを対象とするのではない。それは学識刑法学の原理を実践と調和させる理論的基礎をも探求する。

2 Literaturbericht
 
 a 中世における罪と罰
「法学者に対して刑罰の実践が問題ないものと映れば映るほど、それは歴史家にとっては問題ないものではなくなってくる」(Vicot Achter 1951)
 現在の見解において、刑罰要求(Strafaussspruchなので刑罰の表明?)が含意しているとされる倫理的非難は、Viktor Achterが示したように、12世紀の南フランスで確認され、ドイツでは14世紀に初めて見いだされる。それまでは倫理的非難を表明する制裁という者は知られていなかった。

 古ゲルマン、西ゴート法は結果志向の、他者への侵害に対する客観的責任に由来している。そこには現在的意味での「刑罰」はない。古法の贖罪とは損なわれた秩序を元に戻すものであった。贖罪は加害者ではなく、親族などの第三者によるうこともあった。ここにおいては通常想定されているような、家族の共同責任といったものは見いだされない。当該贖罪は教会による実質的な代行を伴うこともあった。

 「他の人に対する刑罰」という現象は法制史研究において全く以て知られてない訳ではない。法制史家と神学者は、古い刑法において代理が認められていたことを認識しており、それについて奇妙に思っていた。

 カノン法学者の作業は大きな意味を有している。Dominico Schiappoli
Josef Kohlerらがその端緒を開き、Vito piergiovanniとMarianが12-15世紀のカノン法学にかんする本格的な研究を行った。それらの研究は刑罰が加害者にのみ課せられるという考えが、トマス・アクィナスの霊的な刑罰である破門についての議論の影響の下でいかに広がっていったかということと、それが世俗の刑罰については殆ど妥当していなかったことを示している。

 Woldemar EngelmannとGeorg Dahmはイタリア古法における刑法において、「罪なき刑罰」に関する議論が、法実践上でも見いだされると述べている。
 戦争における殺害という問題についてはRaymund Kuttjeが初期近代の事情に関して研究している。戦争の対立における罪のない人々の殺害という問題は正戦論と緊密に結びついており、その議論はKarl-Heinz Zieglerが示したように、バルトルスのTractatus represaliumを介してカノン法からレジストへともたらされた。

 b スペインの後期スコラ学における刑法
 スペインの後期スコラ学における16世紀の刑法理論は主にスペイン語圏で詳細な研究がなされていた。そこにおける主要な研究対象はまずフランシスコ会士のAlfonso de Castro(1495-1558)である。特にカストロによる刑法の義務的性格についての議論が採り上げられている。その他にはFrancisco de Vitoria(1486-1546)の死刑に関する議論やFrancisco Suarezの刑法の治療的な目的に関する議論が研究対象とされていた。
 二十世紀の初頭にすでにJerenimo Montes Luengosはスペインノ学者による刑法に関する命題をまとめており、そこから彼らによる「刑法の属人性」についての擁護を見いだしている。
 スペインスコラ学の帰責理論についての膨大な貢献はFerdinand Galeaによるラテン語の博士論文に纏められており、それはサラマンカの外では殆ど広まっていない雑誌に載っており、重要なテキストであるDiego de Covarrubias y Leyva(1512-1577)のVariae resolutionesについての詳細な注解が行われている。ただし、当該研究は神学的観点からの分析が多く、本研究が行う歴史的分析とは異なっている。
 ドイツ語の研究としては Hellmuth von WeberとFriedrich Schaffsteinによる、スコラ的方法が、ドイツ圏の刑法研究(Carpzovなど)に与えた多大な影響に関するものが挙げられる。そういった側面はスペイン後期スコラ学の原状回復理論二関するGünther Nuferによる研究も備えている。


c Wahrnehmung eines Störfaktors
 「他の人への刑罰」も、スペイン後期スコラ学の刑法理論も研究において全く知られていない訳ではない。そしてスペインの16世紀の学者が近代刑法の創設者ともしかしたらみなされ、自身の関係のない罪による刑罰という現象が認識されるようになる一方で、阻害要因として、それらの理論は現行の刑罰や罪に関する理解と殆ど適合しないという主張が挙がるかもしれない。そういった議論を脇に置いた上で、現象を歴史的に整理する研究がなされることとなる。
 本研究の目的はもっとも研究に相応しい代表的なテクストから基礎的な範型を探求することであり、それによって「他の人への刑罰」というものが論拠によって裏付けられることである。更には現行の刑法の文脈から切り離してそれらを把握し、その文脈の変容それ自体も見いだすこととなる。