Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

Stephan Kuttner, "Notes on the Glossa ordinaria of Bernard of Parma", Bulletin of Medieval Canon Law, 11 (1981), pp. 86-93.

 

今後は頻繁に更新していきます。その代わり自分の再確認用のメモという性格が強いので読みにくいものになると思います。

 

 

 

リーベル・エクストラの標準注釈の歴史はまだ描き切れていない。グラティアヌスの標準注釈の研究状況の、シュルテの1872年のモノグラフのタイトルを借りるならば「その起源から最近の版まで」といった状態と比べると、パルマのベルナルドゥスによる注釈に関して私たちの知ることの出来る情報は、その後期中世におけるインキュナブラ版や、1582年のEdiio romanaの印刷を介した伝達に関してと同様、概略的で場当たり的である。ベルナルドゥスの最低でも四回にわたる改訂が、1241年より前から、彼の死(1263-66)までに行われていたことは、Beryl Smalleyと筆者による1945年に出された論考において示されている。
 だがそれは研究の端緒でしかない。ベルナルドゥスによる注釈の作成は想定されているよりも技巧的ではないが、その作成様式を知ることは重要である。
 標準注釈の「死後出版の」歴史はまったく手つかずのままである。例えば、ベルナルドゥスのCasus longiは注解された教皇令集の手稿の中に、独立した層として組み込まれているように思われる。それは写本の、初期の印刷板のどこに見いだされるだろうか。LaurinはCICの研究の序文においてHain 8030,8034(ニュルンベルク1491,1496)をCasusが挿入された最初のインキュナブラ版だと報告している。私はバークレイでHain8029(Venice1492)を確認した。リヨンの1509.1510,1528はCasusを欠いており、パリ1529や影響のある1547年版は含んでいる。しかし、シャルル・デュムーランはCasusを取り除くことを決定している。彼は”qui visi sunt parum vtiles consilio Iureconsulti disertissimi”と述べている。

 Casusを組み込んだ全ての版、それは1582年のローマにおける公式版も含んでいるのだが、はさらなる精査が必要である。というのも主要な異読は最初のページから出現しているからである。精査作業は、これまで検討されていなかったCasusの最後に見られるNotabiliaにまで及ばないとならない。ベルナルドゥスのCasusは写本ごとに膨大な不一致が見られる。X 1.1.1、Firmiter credimusの注釈において事案(casus)が"Nota quod post symbolum Apostolorum..."から始まっているのを例外として、X1.2.9 Cum M. Ferrariensis以前のいかなる事案も"Nota quod.."の文言を含んでいない。これまで記録されていなかった、ベルナルドゥスのNotabiliaのベルガモにおける独立した写本伝承、Civica MS MA 137は彼のCasusを検分した写本との完全な一致を得た。それと対照的にローマ版は追加の12個のnotabiliaをグレゴリウスの勅書の事案の冒頭に"Premisssa salutatione sic pone casum"という形で含んでおり、Firmiter credimusには10の、X. 1. 1. 2には5の、X1. 2. 1には2の、X1.2.2には3の追加のnotabiliaが付されている。Casusを長くすることで、ローマ版の校訂者は1547年のパリ版に従ったことになる。以下がパリ版のタイトルページとなっている


Gregorii noni Pontificis maximi Decretales epistolae ab innumeris paene mendis, cum textus, tum glossarum repurgate: quarum casibus superaddita sunt brevissima Bernardi glossatoris notabilia nunc primum in lucem edita. Parisiis Apud Jolandam bonhomme sub signo Unicornis. 1547

 献辞において校訂者のプレモンストラントのベネディクトゥスは"epistolae nunc autem disertissimi glossatoris Bernardi notabilibus illustratae, quae non tantum peritioribus verumentiam rudiorubus utiles habentur"と記している。しかしそのように述べられたNotabiliaを示す写本の証拠は見つかっていない。当該テクストの校訂は16世紀より余分な加筆をそぎ落とす形で行われ、筆者もそれにコミットしているが完遂されてはいない。中世の人間の主眼としていたことは、筆者の細心の注釈を見いだすことであったのであり、その作業は外の教皇令への注釈などを参照にして行われていた。
 歴史家はその一方で起源と発展を追跡しようと望んでいる。インノケンティウス四世の立法は1945年の論文を書いていた筆者達に、ベルナルドゥスの注釈が最後の第四ヴァージョンへと至る変化を追跡する指標を与えてくれた。しかしながら、インノケンティウスによる、公会議前、公会議時、公会議後の制定を追跡せずとも、最初の校訂を識別することができたかもしれない。それは序文に続く最初の注釈と、第一巻の結論部の注釈を見ることで特定可能だったのである。(以下、写本とローマ版(こちらは第二版以降の変化を反映しているとされる)の対比が行われる)"