Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

C. Horn Antike Lebenskunst 訳出 ほんのすこし

  1. Horn Antike Lebenskunst

 

SVF→ Stoicorum Veterum Fragmenta

fin→ M. Tullius Cicero, de Finibus Bonorum et Malorum

Prot→ Protagoras

 

1.3 Die philosophischen Schulen und das Idealbild des Philosophen

 

(49.2)

 古代において、現代の公的支出に支えられた大学制度のようなものが作るに至らしめるような教育への衝動は存在しなかった。そこでは厳密な教育計画や学期の制度などはみられない。ヘレニズム期には都市において個人の手になる学校の存在を確認できる。それは中世や近代において見られるような特定の宗教的政治的な見地に則ったものではなかった。それに、学歴のようなものが個人の社会的地位を左右することもなかった。

 そんな状況であったが、176年にマルクス・アウレリウス帝は、アテネに四つの国立の哲学講座を設立した。そこでは主流な哲学の派が教えられた。プラトン主義、アリストテレス主義、ストア主義、エピクロス主義がそれである。この講座の設立によって、古代-ヘレニズムの哲学への評価が高まったが、国家による哲学の規制といったものには至らなかった。

(50.1)

 古代において教養の習得は主に上流階級の子息に限定されており、彼らが教師に学費を払い教育を受けることができた。私たちはその雇用関係を示す文章を見ることができる。それによれば、古代の教育制度は、一種のサービス業のようなものだったのである。教師の間や学生の間にある競争や、教師の収入、生徒の支払い、講義内容への不満といったものを見ることができる。ある学生は講義が生徒からの質問への応答として行われるのに不満を漏らしている。アウグスティヌスは修辞学者としてカルタゴからローマへ向かったが、それは高い授業料を得るためではなく、北アフリカの学生たちがあまりに規律を欠いた振る舞いをするためであった。(Conf5-8)

 

 

 

2.2 Glücktheorien in der hellenistischen Zeit un der Spätantike

 

 (85.2)「包括的解釈」なるものが説得的に提示されるのに反して、アリストテレスの立場はプラトンへの強い批判を願意していた。彼の立場は直感的であり、容易に再構成可能である。

 アリストテレスにおいて完全な徳とは、本質的で、自身のために好ましい善を獲得する生に関係した善であった。その理論は広範な人間学に基礎をおいている。このような幸福の理解への強い反論を提出したのはストア主義である。実のところストア主義の幸福に関する理論はアリストテレス主義との論争という場面において歴史的には出現していた。ローマの帝政期までペリパトス派とストア派は、特にそのほかの善との連関という論点で議論を交わしていた。ゼノンやクリュシッポスといった初期のストア主義者は、自身の幸福概念をソクラテスにおけるそれへ回帰させることを目指していた。彼らは幸福の十分性と同一性そして、理性的な理論を支持していた。プラトンには依拠することなく、ストア主義者たちは、観念論的でない、物質的な形而上学に依拠していた。

 

 

 (86.1)幸福の概念についてストア主義者たちはソクラテス的な視点を権威あるものとして強調していた。それは、徳というものが幸福を生み出す十分条件であり、それ以外の善は不可欠ではないということだ(十分性テーゼ)(SVF 3-30ff.)。それに加え、徳と幸福(eudaimonia)は同一のものであり、その両者は単に概念的に違うというだけで、事象の面では相違を持たないとも考えていた(同一性テーゼ)(SVF 3-53f.)。そして最終的に、アリストテレス的に倫理的な徳と知的な徳の区別を無効のものとする。彼らにとり倫理的な徳とは、「曇りのない理性」や「完全な理性」を意味していた。このような理論モデルは、次に見るように最初の概念設定の段階においてすでに疑わしい印象を与える。ストア主義者たちによる一般的な幸福の概念に対する異議申し立ては、幸福とは何かを理解するための徳というものが、中心的なものとして理解されなければならないという想定、更にいえば、徳と幸福は完全に一致していなければならないという想定に依拠していた。その上更に、そのような徳は主知主義的に理解されなければならないと考えられていた。彼らにとり徳の枢要は、自己犠牲や献身といった倫理的色彩を帯びたものではなく、あくまで適切に理性を用いることにあった。その他の善は幸福にとって何の役にも立たないのであり、痛みの欠如、健康、心地よい感覚といったものでさえそうなのである。そのように局所化された幸福の観念は、あまりに現実味を欠いているし、非人間的であろう。キケロはその点に関して、彼らの定義する最高善が人間にとってふさわしいものであったためしはないといった旨の批判を残している(fin. IV 27)。

 

 (86.2)ストア主義的見地は一方では楽観的に映る性質も有している。たとえば、(ある約束により)苦痛を感じるためであったり、(ある約束を破ることで)物質的な利益を得るためではく、合理的な事情変更が生じたときのみ、約束の信用力は損なわれるといった主張がそれである(この段落ソースなし)。そのほかにも倫理的に考えている部分もある。彼らは明らかに経験に反する部分もある。徳に満ちた人物は決して悪しき性質を備えた人間より決して幸せにはなりえないといったものがそれである。このような主張には経験に適した倫理的な行為結果関係の図式なるものは存在せず、そのようなものは非倫理的なものとしてのみ存在し得るのである。プラトンがトラシマコスの言葉を借りて提示した、変に気取らず利益を追求して生きた方が、人間はよりよく過ごせるのではないかという問いかけも念頭に置かれる。ストア派が主張するような、あらゆる外的な善はどれもさほどさを有しないにちがいなく、剛腹をめぐる倫理の内部では弱い意義しか有しないという見解は、カント的な義務理論がその意義を獲得するための基礎的な要素であった。

 

 (87.2)ストア的な幸福の概念を共通感覚論の見地から拒絶することもしかし向こう見ずなことであろう。というのも、ストア派の人間は自身の幸福概念を単に倫理的嗜好からでなく、複合的で反省を含んだ理論を背景にして発見しているからである。それに加え、プラトンアリストテレスの理論と同様に、ストアの幸福の概念は希求モデル(Strebensmodell)に依拠しているのである。もっとも高次な人間の目的(telos)であるエウダイモニアは、それ以外の事物は希求されないような存在であり、そのそれ以外の事物はあくまでそのエウダイモニアに資するような形で欲求されているにすぎないとするのである(SVF3 2;16)。倫理的な徳はストア派の人にとり最高であり唯一の善なのであった(SVF I 190; III 76)。彼らは首尾一貫性のために、この唯一の善を拡大したり、よりよくしたりするようなものも存在しないとも主張する。だが、特定の外的かつ身体的(むしろ物体的?)な利益のようなものが存在することは否定しない。ただしこのような利益が最高の善を拡大することはないとも注記している。より優先される価値というのも存在するがそれも徳と比較すればその意義が希薄になってしまうというだけなのである。キケロはこのような特性を以下のように描いている。「ランプの光が太陽の光によってよくわからなくなるように、数滴のはちみつが大海によって消えてしまうように、そしてクロイソス王にとっての数枚の金貨や、徒歩でインドへ赴くときの数歩がほとんど意義を持たないように、ストアの人たちが言う所の最高の善は、外的な価値のある事物を徳の輝きと価値でもって色褪せさせ、見えなくして枯渇させる。」(fin. III 45)さらに後の箇所でキケロは、対話の参加者の言葉を借りて、「私にとってはしばしば、ストアの人たちが述べていることは、有徳に過ごされた人生に、塩のつぼ?(Salbfläschechen)とくしを用意しておくために、すでに与えられている人生をそのための手段としてしまい、本来幸福であるにも関わらず、そのために幸福でないと主張する冗談のように思える[1]。」(fin. III 30).  とも述べる。当然の帰結として、ストア派は徳を保持する人間は、苦痛を感じることもなくそのほかの善を全て欠いていることも可能であるという見解を保持していた。有徳な人間は拷問台にあっても幸福なのである。そういう訳でストア派の人にとり、健康や体力、身体の美とか裕福さといったものは幸福に関わる要素ではなかった。彼らは、人が普通価値あるものとして考えているものの大部分を、無関心な対象、どうでもよいもの(adiaphora)へと分類し、同時に病気や醜さ、貧しさや依存性といったものに対しての優先される価値を持つもの(prohegmenon)として一応位置付けている。そのため全ての善を無価値にする禁欲的な立場が必須であるといった禁欲的な主張に必ず至るという訳ではない。

 

 (88.2)

 それに加えてストア派が徳や幸福を無感情(apatheia)として理解したことことも説明される。理性は情動を解することで間違った判断に至ることがあるということはすなわち、精神が情動から自由になって入れば、理性はそれ自体として完全なものとなるという発想を含意していた。しかしどうして理性がそれ単体で完全な状態であるときに、人間は幸福になると想定できるのだろうか。ストア派のひとたちはこのように応答する。「情動に支配されている限り人間は、生に関わるもろもろについて誤った判断をしてしまうからである[2]

 (中略)

 (89.2)

情動から自由な状態としての幸福や徳の理論は特に世界論的、神学的な背景を抜きにした根拠を有している。ストア派の人たちは四つの主要な情動を指摘している。それは恐怖(phobos)、欲求(epithymia)、快楽(hedone)、そして不快さ(lype)である。その情動を意識した人は、同時に確かな以下のことについての確かな意識を持つ。すなわち、徳や幸福が遠ざかっているということである。恐怖と欲求そして度を越した快楽や不快の受容は、つねに自分の意思の統制下には置けない対象に特定の価値を置く(beimissen)人に常につきまとう。例えば富を高次の善とみなす人は、裕福でないうちはその人は貪欲でけちで、嫉妬深くなる。不意の収入があると、その人は度を越して無思慮になる。そして裕福になると常に材を失ってしまうことを恐れて、それを守ろうとするか殖やそうとする。ストア派の情動理論によれば、衝動(Trieb)と感情(Emotion)はただ誤った価値判断の結果であるだけではない。それらはむしろ誤った理性判断、もしくは自己自身の直接的な表出なのである。徳もしくは幸福は、正しい理性(orthos logos)を安定した人格的な振る舞いや信念(diathesis)のために用いることで獲得される。その状態へは外的な、身体的な善は価値がないという見解(Einsicht)を貫徹することによってのみ、到達する。人間はそれらの善からは根本的に距離をとるべきである。ストアの人たちはそのため、徳というものを結果的に知恵(phronesis[3])だとみなすのである。

 

  1. 4 Ethik und Theorie des Selbstbewusstseins

 

(226.2)

デルポイアポロン神殿はその支柱に「汝自身を知れ」(gnothi seauton)という言葉を碑文として刻みつけられることになった。それ人間の傲慢を諌めることを意図しており、それによって人間の幸福はとても脆く、神でない人間は可死的で、有限で弱いことが思い起こされた。この言葉は神アポロンに由来するという説の他に、その由来にはとある七脚詩[4]があるという説もある。プラトンの記述によれば、この言葉はラコニア人がデルポイの神に捧げた短い知恵の教えを範型として持っているという。そこにおいては自己認識のすすめが意図されていたそうだ(Prot. 343 a f.)。古代における「汝自身を知れ」という言葉の伝承は人によってバラバラだし、不正確である。クラシック期においてその言葉が何を意味し、誰の言ったことであり、どういう理由でデルポイ神殿と関係のあるものになったのかについて明確に確認することはできない。注目すべきこととしては、デルポイにおける適切な自己認識と正確な自己評価への要求は、その言葉のあまりの簡素さと内容の不明解さにも拘らず、その広がりと重みにおいて並ぶもののないほどの影響史を持っているということである。

 

(226.3)

 当該箴言の哲学的含意は、プラトンが多様なで重要な意味連関を提示したことに端を発する。自己認識の主題は、プラトンが思慮深さ(sophrosyne)と表現した自己関係的な知として把握されるのと同様に、「自己の魂への配慮」や「死への準備」といった教訓において把握されることもある。プラトンが推測したその[5]本来の意味が正しいならば、七つの方法[6]についての箴言は確かに韻律と思慮深さの知恵に関係があるのだろう[7]。私たちの追っている脈絡にとり興味深いのは、自己認識という主題は、同時に良心の概念、自己意識の理論そして精神の形而上学を伴っていたということである。十分ありえる解釈として、「汝自身を知れ」をめぐる様々な解釈は歴史的ソクラテスが実際に加えていったものだと考えることができる。パイドロスによればソクラテスは常に自己自身を知るということを巡って苦心していたとされる。自己認識に到達する前には、自己自身をしるという問い以外の全ての問いは無意味であるように思えるからだ(229e)。プラトンソクラテスの弁明において記した結論はそれに近いようだ。そこではデルポイの神託でその言葉とともに示された、「ソクラテスより賢い人はいない」という言葉はソクラテスが自身の哲学を始めるきっかけとなったと述べられる。プラトンソクラテスデルポイで与えられた神託に応答して、自分はちっとも賢くなどはないと述べる箇所を描く。ソクラテスが無知であり、同時にそのことへの知を有している[8]という事態は、彼がその根拠について探求しようとした矛盾をなすのであった。自分の像と、神託で示された彼の性質の不一致という解決すべき問題のために、彼はアテナイの市民に対してその知恵を試すことをするのである。そして彼はその営みに成功し、よく知られている結果に至るのである。彼の無知というものもやはり知恵の相対的な一類型を意味しているということである。それは傲慢な見せかけの知との比較によって見えてくるものである。

(227.2)

 ソクラテスが、人はみなまず自分自身を配慮しなければならないということを自身に激励したものと受け取った神託の言葉はどういう面において意義深いだろうか。ソクラテスの神託の意味についての推論と、彼の自己認識をめぐる努力は、死を忘れるなという言葉で組み尽くされる訳はない。ソクラテスは自己認識の主題を三つのさらなるテーマと関係させる。1. 彼は自身の行いについて、自身の内的な声(daimonion)に責任を負う。2. 彼はデルポイの神託の言葉を、試験を課された[9]自覚的で調和のとれた生を送ることへのすすめと理解する。 3. 彼は神託の言葉を神への使命だと理解する。

 

 228.2

ソクラテスの弁明は自己への意識の発見と、道徳的な「内的空間」の確立の関係を変容させた。テクストの別の箇所においては把握された自己意識と、良心の関係をめぐる理念史を理解可能にする記述もなされている。syneidesis(意識、知恵)というギリシア語の表現は、自己意識的な存在という理念と、そのような人間の道徳的な制御能力の理念という意味の中間で、二重の意味を含意していた。「内的な関係知識(inneren Mitwissenschaft)」というものを表現する際には、二つの意味が接触していた。良心の概念は付随的な自己意識の理念に由来するということは、さらに前のテクストにおける箇所で示されている。デモクリトスはその語の概念を「悪い生活のありかたについての自己意識」と定義している。その他にもエウリピデスオレステスは、苦しみというものについて、決まっていた見解(synesis9の現実化として、自身の内側に襲いかかるものと理解している。彼が意識している(synoida)のは、何か恐ろしいことが起きたということである。エウリピデスは復讐の女神であるエリュニエンのよる苦しみの現実化を、人間の内的領域での現実化現象として理解する。

(228.3)

 内的な自己関係的知識の表現に由来する良心概念の成立は、いわゆる恥の文化から罪の文化への移行と関係している。恥の文化は、逸脱行動に対して社会的制裁を課することで人間の関係によって生きる生における基準を貫徹させる。罪の文化は倫理的な規則を神に与えられたものだとか永遠の法として正当化する。罪の文化に対して、古代の宗教的な図式は、警告的、刑罰的な審級を行為者の内面にうつすことによって新しい良心の概念を際立たせている。自分は自分のふるまいについて、内面的な中間の知者(?)に対して責任を持たなければいけないということは、自律的な良心という理念のために、外的社会的な自己の行動への制約という立場は放棄される。内的な行動への原動力と内的な審級が後悔や反省を促すことを介した、自身の行動への自律的な評価という発想は、単なる規則遵守という立場に接近する。内的な行動への原動力と内的な審級は後悔や反省を促す。罪の文化から内面的な罪の文化への以降への道の途中にデモクリトスが位置付けられる。彼によれば「人々の前よりも自分の面前においてより恥ずかしい気持ちを感じないといけない。そして人は誰もそれを見てないときも、全人類が見ている時と同様に悪をなしているのである。むしろ人は自分のまえでもっとも恥じないといけない。そしてそのことは自分の魂に対しての確固たるルールとなっているのである。そして自分自身に属していないことは人間は行わないのである。」

 

 

 

 

 

 

 

[1] この箇所は訳出に自信がない"ut mihi in hoc Stoici iocari videantur interdum, cum ita dicant, si ad illam vitam, quae cum virtute degatur, ampulla aut strigilis accedat, sumpturum sapientem eam vitam potius,(この箇所は独語訳と微妙に違う)quo haec adiecta sint, nec beatiorem tamen ob eam causam fore."

[2] 必要条件でしかないだろう

[3] ここ独語はEinsichtなのである。直前のEinsichtは見解とか理論みたいな意味だったのだが、こちらも知恵でいいのだろうか。ホルンがEinsichtと述べたときに念頭に置いてるのは直前の外的善は価値がないという見解ないしは知恵のことなのだろうか。それはフロネーシスと表現されるものなのだろうか?

[4] 7行詩?

[5] エピグラフの?

[6]

[7] ここで韻律の話をしているのは、古代の七脚詩を念頭に置いているからか?

[8] seine Weisheitは彼の知恵なのか、無知の知なのか

[9] geprüftes