2016年度 近代日本法史 パテルノストロについての報告レジュメ
以下のものは学部の時のゼミのために作った資料です。その場でとある資料を読み解くための補足として作ったのでこれだけでどのくらいインフォマティヴなのかはわかりません。口頭で補うことを想定しています。
じゃあ載せるなよという話ですが、自分は書いたものの管理が下手でよく紛失してしまうこともあるため、消滅を防ぐ目的の下掲載させてもらいます。
ちなみに2016年の冬学期は二回報告をしたが、これが一回目であり、以下のリンクにあるのが二回目のものです。
こういったテーマは改めて読んでも興味を惹かれるので、ビトリアの戦争論やインディアス問題に関する議論などを扱う時にまた学びなおすようにしたい。
・ パテルノストロ(1852-1899)について。
家系[1]
祖父アントニーノ(1789-1857)
パレルモ近郊に生まれパレルモ大でローマ法、教会法を修める。その後カルボネリ党の党員として革命運動に参加
父パオロ(1821-1885)
アントニーノと同じくパレルモ大法学部を卒業。1848年の革命に関与し、亡命。亡命先のエジプトでは政府の法律顧問として司法制度の改革に関与。そのアレクサンドリアで1852年、アレッサンドロが誕生[2]。
日本に至るまでのパテルノストロ
1859年 エジプトからイタリアのトスカナへ
1874年 ローマ大学法学部を卒業し、刑事弁護士
1789年 国際法の講義も担当
1886年 パレルモから下院議員に選出。衛生問題、軍事問題に傾注。
1888年 日本の申し入れに対する首相クリスピの推薦によりお雇い外国人として、1892年まで司法省で働く
司法省お雇い外国人としての仕事[3]
1889年国会開会式に際して
「山形内閣成立し、第一回帝国議会に臨む事になったのであるが、かくて山縣内閣は帝国議会の開会式に関する諸準備を進めた。(中略)この開院式に関する英国学者の説をパテルノストロへ調査せしめ、開院式の勅語及び奉答に関する手続きを調査した[4]」
1891年の大津事件で、井上毅から諮問を受けたパテルノストロは、事件の対処に関する10箇条に渡る建議を行う[6]。その他にも、医師の派遣を行った。
事件後の法的議論としては、井上毅に、皇室に対する罪として罰する事は不可である事、第133条[7]の適用もできない事、外国における同様の事例に妄りに依存する必要はないことを述べた。之を受けて井上毅は、伊藤宛てに、皇族への侵害は国家への侵害と同視するわけにはいかないため、刑法116条[8]も適用できず、謀殺犯未遂として処理すべきことを具申している。
選挙干渉に関して
1892年2月の衆議院選挙での、内相品川弥二郎を筆頭とする選挙干渉事件に際して、政府から意見及び本国の選挙制度のあり方の報告を求められている[9]が、事実としてそのような例がイタリアにあった事を認めつつも、政府が道義を維持しない事は認められない旨述べている。
法典論争に際して[10]
1892年5月20日付の榎本武揚の、貴族院に提出された民法商法施行延期法律案に関する質問への応答[11]を行い、これをもとに榎本は26日、領事裁判撤廃のための法典実施の必要と、国際法学会において日本の法典が注目の対象となっている演説を行った[12]。
・ 日本の条約改正問題[13]
法権回復は、不平等条約改正問題の当初から最重要問題と意識されたわけではない。政府の財源確保の必要と相まって、協定関税改正及び、税権の回復が当初は目標とされていた。
その後は1880年より、アメリカから外務省顧問として着任したお雇い外国人デニソンの助力の下で条約励行主義[14]を図っていた。西洋諸国との条約の改正は条約改正会議に基づいて行われるようになり、本国との直接交渉、当事国の内の一国との抜け駆け的交渉は困難であった。
井上外相の下で行われた1886年の条約改正会議における案では、領事裁判の撤廃は認められたが、内地、解放、法典編纂の通知、外国人判事の任用を認める事となった。
大隈外相の下で1888年にメキシコとのほぼ対等な条約を締結させ、1889年よりアメリカ、ドイツ、ロシアとの間で改正された条約が調印された。しかし、条約案における外国人判事任用、及び法典編纂の通知という事項が朝野の反発を招く事となり、米独露との条約の締結は延期される事となる。
1890年までの議論では法典編纂の通知という事項こそが、日本の法典の施行にあたり欧米諸国への承認を要求するという、自国の独立を損なうものとして強く問題視されていた[15]。それに対して外国人法律家の任用は妥協可能なものと受け止められた[16]。陸奥宗光も外国人法律家の任用はむしろ裁判の改善につながると肯定的な意見を述べているそうだ[17]。
外国人判事任用と混合裁判所との相違
パテルノストロは外国人判事任用に関してはどう考えていたのか[18]?
・ p. 11までの本文の論旨(フランス語での報告も参照)
第一 国際法は近代の現象で、キリスト教圏の外に適用される事はその法が出来てさらに後の事であった[19]。文明国による国際法をそうでない地域に適用できないことはまあ正当である。
第二 現在の国際法の常識として、1. 今日の国際法は人間一般の本性に基礎を置いており、その目標は人類の組織化である。2. 国際法は人類一般の法で、信仰にかかわらず人々を一つにする。3. ヨーロッパ人に限らず地球のあらゆるところに国際法は及ぶ.
今や国際法の適用に関して問題になる要素は文明の進展の程度がそれである。
第三 国際法の観点からして、国家を評価するには、 その組織化、法、習俗が、国際法の共同体の中で平等の歩みを認めるに必要な段階にある事を示す事である[20]。
日本帝国で政治組織、法律の制度と実際、国民生活などを観察した人は、日本における国際法上の不平等は必要な国際法の原理と実践[21]に反する事に気づく。これらの認識が広まる事を願う。
第四 1874年の国際法学会の設問は、東洋諸国への国際法[22]の適用可能性についてだった。そこで生じた具体的な問いは以下である。
- 東洋諸国人民の義務意識はキリスト教圏の人と違いがあり、あるならば国際法の共同体に加入できないほどか
- 東洋諸国の人民の条約順守の意識は、キリスト教圏の人と違うのか
- トルコや中国、日本の社会状況は、領事裁判圏や例外的管轄権の保持を正当化するほどか。これらの管轄の状態を改善する方法はどのようなものか
- キリスト教圏の国が東洋で行使する管轄権の存在は公正な裁判確保のために領事裁判その他の制度を行うことが必要であることを示していないのではないか[23]
- 東洋の人とキリスト教圏の人の間の子に対して人としての身分、能力を認める事ができるのか
これらの問いに対して十分な回答は出ることなく、1877年にこの議論を延長する事を協会は決めたが、ダットレー・フィールドは協会に以下の二つの命題を示した。
ということは、領事裁判制度の廃止は言わずもがな、東洋の裁判制度が西洋と同一なるに至れば混合裁判所も廃止されるべきなのだ。国際法の観点からして日本の司法制度は西洋国家と同じ高みに発展している[24]。
1879年にトヴィスは、東洋諸国一般ではなくもっと個別国家を重視する事。資料の不足、信頼性の欠如がある事。東洋国家同士の相違は大きい事を述べた[25]。
・ 以下、邦文から離れて紹介
Sir Travers Twiss ”rapport[26]” in Annuaire de l'Institut de droit international(1880)
オスマン帝国、ペルシア、中国、日本の人々は、payennesやdemi-sauvage[27]の人とは区別され、西洋と彼らの関係は、西洋とnon civiliseesの人との関係とは違う。これらの人々との関係について答えるのは非常に困難である。東洋の国に住んでいる西洋人の専門家は、自身の公的職務に尽力しており、当地の政府の許可なくして情報提供することは殆ど不可能である。退職した(それらの国の)公務員はおそらく、慣習や法の改善についての東洋の幾つかの国の情報を提供しないだろう。(p. 301)
研究を進めるために2つのことを私は確信している。
- 東洋諸国と私たちとの間に横たわる、理念、信仰における相違は、国際法に基づく相互の一般的関係を想定することができないほどのものではないということ。
- 東洋の人々は、キリスト教圏の人々と同じく締結された条約を守る義務感を受け止める認識がある事
困難は理論においてではなく実践のレベルにおいて存する。例えば、中国と日本の間には大きな相違があるのであり、大きさと機敏さから中国は象に、日本は早馬に例えられるのであり、東洋一般ではなく特殊事例について考察しなければならない。(p. 302)
東洋諸国の司法行政に関して、私に情報をくれた専門のヨーロッパ人は皆、ヨーロッパ人が司法制度から免除される、カピチュレーションの制度を廃棄する時期は来てないと助言をしてくる。領事制度の理にかなった進展の要求は、判事(としての領事)の能力、裁判所の組織についてのものである。欠陥を伴う領事裁判制度を評価するには、Actor sequitur forum rei、原告は被告の裁判籍に従うという原則を念頭に置けば良い[28]。(p. 304)
日本の法の改良については、しばしば伝えられているが、望ましく、偏りのない法適用はまだ見込めない。法の実際の運用とヨーロッパの判事との共同を期待する。(p. 304-305)
・ 邦文へ戻る p. 9
トヴィスは[29]日本社会の発展を認めているのだが、彼の認めるところは
というものである。これらの変更を提案する根拠として、トヴィスは現行制度の4つの欠点を挙げている。
- 国籍の異なる複数の原告に対し、領事が十全な裁判権を行使できない
- 領事と国籍の異なる承認を召喚できない。
- 当事者の一方が反訴により被告になったり原告になったりする事で適用する方が異ってしまうこと
- ある西洋人が経済的な関係を結んだ日本人と他の外国人に対して訴訟を起こす場合は、管轄はどうなるのか、一方のみを起訴しても臨む結果が得られない。
以上がトヴィスの指摘する欠点だが私はあとでこれ以外の欠点を説明する
さらに彼は民事商事に関して、1人以上の外国人が関わる訴訟を行う特別裁判所なるものを提案している。それは半数の判事が外国人であるものだが、前外務大臣大隈の案よりも悪い。
彼の案は民事刑事どちらも大審院に限って数名の外国人判事を置くのみであった。さらに彼は、日本の刑法点を賛美しつつも、キリスト教国の領事が裁判権を混合裁判所に委ねた前例を知らないと述べ、西洋と東洋の刑法の相違を重大視しているが、これはおかしい。さらには、古代の英国において混合裁判が行われて居た例を持ち出して混合裁判所を正当化しようとするのもおかしい。
・ パテルノストロの雑誌論文における付録
- 193以下、付録1は日本の法典編纂について、付録2が日本の法文化について、法学校、法学会のあり方、学術書の翻訳状況を、付録3は対外問題に関する政府組織について伝える
当時の国際法理論からしてパテルノストロの議論は受容可能か[30]?
- パテルノストロの国際公法講義
国際法の存在様態
人によっては、国際法なるものは国家間の利害調整に服するもので、条約の形をとって始めて存在すると述べるが、それは法文と法を取り違えている[31]。
・ 総論的な国際法の議論から見た東洋
James Lorimer (万国国際法学会創設メンバー)“The institutes of the law of nations”(1883)[32]
政治的現象として、humanityなるものは、三つに区別される。A. Civilisedなもの B. Barbarousなもの C. Savageなもの。これらの相違が、民族の特殊性、同一民族の発展の段階どちらによるにせよ、civilisedな国民は3つの承認の段階を備えている。1. 政治的承認そのもの 2. 部分的承認 3. 自然的な人間としての承認(p. 101)
1はヨーロッパのすべての国家に及んでいる。植民地支配の関係からヨーロッパ生まれの人やその子孫にも至る。それと、北及び南アメリカにも。これらは本国であったヨーロッパからの独立を正しく立証している地域だ。(p. 101-102)
2はヨーロッパの例外としてのトルコ、そしてアジアのold historical state[33]であるペルシア、中央アジアの小国家、中国、シャム、日本に及ぶ。(p. 102)
3は残りの人類に及ぶ。ただ、発展段階である民族(race)と発展してない民族は区別しなければならない[34]。(p.102)
国際法学者が直接扱うのは1である。が、partialy civilized[35]な共同体と1との関係は考えないとならない。Law of nationsは、barbarousだったりsavageだったりする人々[36]には適用されない。だが、彼らが2の段階に入る地点、手段は考えるべき[37]。(p. 102)
(トルコは試みに完全な承認をして失敗だった話をして)一方で日本は、彼らの発展速度を20年保っており、政治的承認そのものに値するか否かを決めることが必要になるかもしれない。(p. 102-103)
承認の学説は、絶対的な相違と相対的相違を区別すべき。何となれば政治的承認そのものをしており、citizen相互は平等な国家相互でも不平等は存するので。諸国家はpowerでも、rightでも相違し、それに従って相互の承認の程度も異なってくる[38]。このような実践的には解決不能な相対的承認の問題を私は恐れる。(p. 103)
(国家の承認の問題に関する議論は、他国の承認に依存する以上、どうしても形式的、仮設的なものにとどまらざるをえないが、あえて言うならば)承認を得るためには、国家はa. 自身が要求する承認を相手にも与える意思 b. その承認を相手に与える能力 がなければならない[39](p. 108-109)
承認を求める国家は、承認を求める国家(とうぜん1のグループ)から、国家間関係の上の存在としての義務を遂行する能力と意思を認められなければならない。意思の存在は、互酬性を守る意思を不可能にする特徴が存在しないことを点検して確かめられ、能力の存在は、jural capacityの存在によって判断される。(p.133-134)
承認によって、国家は法的能力、正確には自然法によってすでに保持していた法的能力が、実体的な国際法によって得られるようになるのだ(p. 135)
自由な国家は自国の良心、判断[40]のすべてを他国に押し付けることはしない。政治的承認そのものにそのような事項は含まれないのである。各国家は他国の内国法、私法公法にわたる裁判所の判断を尊重するのである。だが、civilisedな国家とsemi-barbarous[41]な国家との関係の場合は異なる。たとえ外交関係が国家間で結ばれても、s-bな国の内国法、私法公法の承認には至らない。ただし、s-bの国の国民に対して適用されることは認めるのである。承認する川の国は結果的に、部分的承認をした相手国内に区別された裁判所を設置し、区別された裁判権を行使する。その裁判所では、設置国の市民相互の、多くは設置国市民と現地国民の訴訟を扱う[42]。(p. 216-218)
ロリマーの議論においては東洋諸国と西洋諸国に相互性が存在しない事はなんら問題はない。客観的に文明の進展度などを要件としているが、最終的に平等の関係をとるか否かは、進んだ国の側に承認の権利が認められているといってよい[43]。
[1] Mario Losano “Tre consiglieri giuridici europei e la nascita del giappone moderno” (1973) p. 590以下、森征一”司法省お雇いイタリア人アレッサンドロ・パテルノストロ来日の経緯” (1980) p. 265以下
[2] Losano1973には1853年生まれと記されており、パテルノストロの訃報を記した1899年6月20日の”東京日々”は、「年齢五十歳」にて亡くなると記されているが、森1980は複数の資料からの対照により1852年生まれであることを確認している。Losano2011では1852年生まれに修正されている。
[3] 梅渓昇『お雇い外国人の研究 上』(2010) p.398以下 余談だが
講談社学術文庫の梅渓昇『お雇い外国人 明治日本の脇役たち』(2007)にはパテルノストロについての記述はない。
[4] 小早川欣吾『明治法制史論. 公法之部 上巻』1940 p.543,544 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1048557 『憲法資料』p. 230-251 の”クルメッキ氏日本憲法に関する意見書にも関与しているそうだ http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1233057
[5] 木野主計”大津事件と井上毅”『国史学』76号 http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f6-2.pdf 、Losano1973
[6] 1. 天皇陛下が直接皇太子のもとに赴く事(木野によればこの事項は天皇自身がすでに思いついていたそうである)2.ロシア皇帝に慰問の電報を天皇陛下自身が打つ事3.コンドレアンス(慰問書)を皇帝に天皇陛下が送る事4.電報は日本公使を介する事5.在外公使に事件の詳細を知らせること6.犯罪の審問は日本の法律に厳密に則って行う事7.新聞、政党その他の結社団体は遺憾の意を表明する事8.日本国民が無政府主義に通じていないか調査し、その兆候があればそれを外国にまで追跡する事9.官報に日本の地域、人民が皇太子宛てに事件への憤懣と皇太子の快癒への祈りを記載する電報を送るように記載する事10.国会議員は、閉会中に私的に集まって、事件への遺憾の意と、皇太子への配慮を表明した決議を行い、各人の名義を寄せる事 http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1207983 に原文あり
[7] 外國ニ對シ私ニ戰端ヲ開キタル者ハ有期流刑ニ處ス其豫備ニ止ル者ハ一等又ハ二等ヲ減ス. いわゆる私戦予備の規定である。ある私人と外国との関係を私人の本国が関心の対象とするという思考の端緒はこの事件にも表れているのではないだろうか。
[8] 大逆罪
[9] これは他の法律顧問にも問われたもので、ボアソナードのみが選挙干渉に同情的な立場をとった
[10] 武藤智雄”パテルノストロ家訪問記”『法律時報』第9巻12号
[11] これまでの研究では書簡の内容がよくわからないのだが、Mario Losano “Alle origini della filosofia del diritto in Giappone. Il corso di Alessandro Paternostro a Tokyo nel 1889”(2011)には、6月19日の榎本からパテルノストロへ宛てた手紙が載っている(p. 212)。
[12] そのことを暗示する榎本の秘書官曲木の感謝の書簡がLosano2011 p. 207にある。”Riferisce I ringraziamenti del Vinconte Enomoto per””la longue note sur l’adjournement des Codes qui vous a été demandée”””
[13] 梅渓2010 上 p.390以下、五百旗頭薫『条約改正史』(2010)p. 223以下、
[14] ここにおいては、条約遂行能力を示す事で海外からの評価を得るという側面が強い。1890年以降は外国人に対して行政規則による取締りが条約において許されていることを背景に、外国人の行う密猟、言論の取締りを徹底することを主張するものとなった。密猟の取締りについては森田朋子『開国と治外法権』(2005) p. 17以下
[15] 例えば1887年6月24日の福沢諭吉の社説「法律の寛厳良否に論なく、其法を義弟して之を施行するは自国の主権にして、苟も我が本意にあらざる所のものは断じて之を採らず。独立国の本色はただこの一点に存て存するのみ」
[16] 前注の福沢の社説「唯他に貸すべからざるものは法律の権にして、仮令へ外国の法學士を召し、判事を雇ふも、我が主権の根本たる立法司法の全壁には外人をして一毫もふるる所あらしむべからざるなり」
[17] 五百旗頭2010 p. 277
[18] パテルノストロは父がエジプトの法律顧問であった関係上、混合裁判所制度に関する知識は十分にあるのだと思われる。エジプト混合裁判所制度は、当事国がどこかに関係なく複数の国家の判事で構成されるものであった。
[19] ここでサラマンカをやろうとする人間の肩身が狭くなる
[20] パ氏の学会雑誌掲載文のp. 7のⅢの一段落目から引っ張ってきたが、訳文の「同一の権義を挟みて…」以下に相当するものはなさそうである。
[21] いまひとつ意味がわからない。Mutatis mutandis的な思考か?
[22] 国際法と書いてあるが、仏語だとここはdroit internationalではなく、 droit des gens européenなのである。
[23] 否定疑問文?
[24] 「領事裁判を廃し、かつ混合裁判を拒絶し、以て十分に対等の権利を享有しうべき事はもとより論を俟たず」という邦訳p. 5五行目の議論は仏文にはない。(もちろん論理的に出てきそうではあるが)
[25] 邦訳p. 5の最後に出てきたフィールド氏は、仏語文の主語ilを追うとおそらくトヴィスである。内容的にもトヴィスの1879年の”rapport”に一致する。
[26] パ氏が五ページ八行目で言及しているのはこの報告と思われる。
[27] payenとdemi-sauvageは後述のロリマーの区分と同様のものと考えていいか?
[28] 講演邦訳ではフィールド氏による議論とされているものと酷似しているが、これはトヴィスの議論である。おそらく仏語ではrappoteurとなっているので捉え損ねたか。邦語の研究でこの箇所を引用するものでこの箇所に特に言及しているものは管見のところ存在しない(トヴィスがまた引きしている可能性は否定できないが、”rapport”の文章で特に参照は書かれて居ない)。
[29] 以下は日本在住の外国人向けに発行される新聞、Japan Daily Mailの内容であり、”rapport”には存在しない議論である。(おそらくこちらは英文)。当該記事を発見する事が出来なかったが、日本にいる外国人に向けてなされた記述だという事は意識しておいていいだろう。特に指摘する欠点などは西洋人の視点から主張されている事は一見して明らかで、パテルノストロの応答がきちんとかみ合っているのかを見定める必要はある。
[30] 当時の東洋諸国への国際法適用の問題の理論化の諸相について、住吉良人”日本における領事裁判制度とその撤廃(2)” (1969) p.23以下から。それによれば、なぜ領事裁判制度を東洋に適用するのかということに関して4つの視点が見られるという。(おそらく相互に排除する議論ではないと思われる)
- ヨーロッパ諸国と文明の程度において差があるがゆえとする立場 これは後述のロリマー含め、アンチロッチ、ハーシェイが該当するという。但し、領事裁判制度は中世などでは領事は裁判をしていたことを念頭におけばなんら不自然ではないこと、あくまで過渡的であること、をこの論者は強調する。このグループの中にも相手国の国家主権の侵害として制度を理解するものもある。
- あくまで文明の優劣でなく、相違ゆえに適用するとする立場 ここにトヴィス、ウェストレークが含まれる。理論的帰結としては相手の固有の社会秩序を尊重するが故に警察権を認めている(ウェストレークの場合)、トヴィスにおいては、自国民の保護、滞在民同士の対立調整以上の介入は不当と判定される。
- 領事裁判権は領事裁判制度を認めた国の権利を代理行使しているとする立場 アメリカ最高裁判事フィールドなどがそうである。
- 領事裁判制度を認めた国は国際社会のメンバーとみなされないとする立場 コーベットなどがそうである。この場合、条約締結能力と国際社会のメンバーである事は別個のものとして観念される。
[31] 『国際公法講義』(1897) http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/798170 講演の説明からしても国際法に対し自然法的な認識をしている?
[32] https://archive.org/details/instituteslawna03lorigoog パテルノストロはその講義 で、国際法学会の会員の著作は皆参考にするに足りと述べているのでロリマーの参照は的を外しているわけではないだろう。
[33] 国家構造の相違を念頭に置いている表現?
[34] パ氏の民族観にもこの区別は存在しているように思われる。
[35] Savage,barbarous,civilizedとまた別の標識!
[36] Savages,barbariansなのでここは人間集団を念頭に置いていると思われる。
[37] 1,2,3とS,B,Cの区分をアナロジーで考える議論ではない。
[38] ここで先の承認の3区分は人間の扱いに関する問題ということが推察される。絶対的区分は三段階のもので、相対的区分は国力に応じ区々ということか。
[39] 以降の章で、reciprocating willを損なうような宗教的、世俗的信条について論じている。
[40] 具体例として、米国人の市民としての特権、ドイツの離婚制度が他国の法制度に影響を及ぼさないことが挙げられる。
[41] Barbarousとsemi-barbarousの区別について殆ど論じられていない
[42] この説明に従えば、相互性(設置された国も相手国に裁判所を設置すること)を認める必要がない。
[43] このような立場とパテルノストロの議論の整合はどうか。一方的条約破棄論などはこれに対立すると言えるが、学会を含めた西洋社会からの認知を重要視する姿勢は存在している。