Disce libens

otium cum dignitate

スコトゥスについてざっくりと (1)

 せっかく自由に投稿できるのだから気楽に文字を投げていこうと思う。前回から一週間経ってないが更新をする。

 

 

 

 Flaschの中世哲学史の紹介という形でドゥンス・スコトゥスについて何度かに分けて確認していく。そうは言っても息抜きでやっているので、次回の更新は別の主題に関するものになっているかもしれない。Flaschの書いたものについてはクザーヌスに関するものが邦訳されている。

https://www.amazon.co.jp/Das-philosophische-Denken-Mittelalter-Machiavelli/dp/3150194792/ref=sr_1_cc_5?s=aps&ie=UTF8&qid=1533826405&sr=1-5-catcorr&keywords=kurt+flasch

https://www.amazon.co.jp/ニコラウス・クザーヌスとその時代-クルト-フラッシュ/dp/4862851932/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1533826405&sr=1-1&keywords=kurt+flasch

 

 スコトゥスからの引用については独訳されたものを訳して表示している。

 


 doctor subtilis、精巧博士の異名が示すように、ドゥンス・スコトゥスの思想は単純な仕方では扱いづらい。
 14世紀初頭という移行期の文脈を念頭に置くことで少しだけ見通しはよくなるようだ。彼の思想はその時代における、アリストテレス-アヴェロエス主義に触発された哲学と神学の抵触のよい例証となるからである。その側面での彼の影響は、16,17世紀のフランシスコ会系の思想にまで残存している。特に大学内では14世紀から17世紀にかけるまで、トマス・アクィナスの思想以上に学ばれてきたと言える。その理由として、彼の議論が綿密な体系を築くことよりも批判的な思考を展開することを優先したため、彼を援用する後学の者に独自の理論的営みを行う余地を残していたことがあげられる。カントの揶揄に代表されるように、18世紀のドイツにおいて、その表面的な煩雑さから軽視されていたスコトゥスであるが、本来後期中世、初期近代を理解するためには理解を欠いてはならない対象である。

 

 彼は同時代のアウグスティヌス主義とアヴェロエス主義の緊張を巡って行われた知的闘争の中でも、優勢であったトマスに代表される調和的な立場を採らなかった。ただし、ペトルス・オリーヴィのアリストテレス批判に親しんでいたスコトゥスは、アウグスティヌス、ボナヴェンドゥラのラインに従おうと考えていたが、同時にアリストテレスやその注解者であるアヴェロエスらを完全に無視することも出来ないとは考えていた。仮に哲学という営みに限界があり越えてならない一線があるとして、それは哲学内部からも論証されなければならないと言う考えがその理由の一つである。確かにボナヴェントゥラとオリーヴィのアリストテレス批判自身、明快でありよく思考されているものであるが、スコトゥスの時代においては説教調で(deklamatorisch)すこし時代はずれなものとなっていた。そのためこの時代においてはスコトゥスが、哲学に基礎づけられた論理で、アリストテレスのテクストの細部に入り込む諜報活動をしなければいけない。その活動を通して、彼は批判という手法を介して神学が哲学的にとても実りある営みであることを示したのである。

 「哲学は自然はそれ自体で完結していると主張し、超自然的な完全性がもたらす必然性を否定している。それに対し、神学は自然の不完全性と同時に、恩寵と超自然的な完成による必然性を認識する。」(Scotus, Ordinatio. prol. pars1 q.1n.5 Opera omnia I 4.) 
 スコトゥスの見るところでは、哲学は自然により作られた知性の活動性と、その知性によりすべてのものが理解可能になると主張している。その知性は人間社会における養成が欠かせないものであるが、その社会において伝達し得る、実用的、理論的認識を身につけるだけで十分完成に至るというのである。つまり、霊的な助けなく能力を育成することで、人間は人類の完成形態に至れるというのである。そしてそれが哲学が神学へ異議申し立てする際に根幹にあった発想なのである。

 

 次回はスコトゥスの哲学批判について見る。あまり間をあけないようにする。