Disce libens

研究にあまり関係しない雑記

ビトリアと自然法論 少し前の動向

ティアニーの1997年の研究[1]に従い、自然法関連でのビトリアの扱いにつき非常に簡潔に先行研究の関係を確認しておく。彼はその紹介の後自身の分析を展開するが、それは別のエントリにて紹介するか、今書いている論文に入れ込むかするつもりである。2010年代の研究動向についても上に同じ。一応以下で紹介されているものは、デッカースのGerechtigkeit und Rechtが現在読んでる途中なのを除けば全て読んでいる。

 

 ティアニーの当該研究の時点まで[2]、16世紀スペインの神学者、フランシスコ・デ・ビトリア[3]自然法理論への寄与がいかなるものであったのかについて一致は得られていない。これは別にキリスト教の教義に対する執着の大きい学者がいるからとかでもなく、理論的にも明晰に把握されていないことを指している。

 特にiusという言葉が彼において、正しさや客観的秩序を指すそれまでの伝統に忠実な意味を持つものとして用いられているか、それとも同時代のインディアンの扱いを巡る問題を通じて、主体の権利のような近代的ともいえる意味で用いられているかという点で見解の相違がある[4]

 

 Andre-Vincentの研究などは、ビトリアはその点につき特に変更を加えず、従来通り客観的な正としてのiusという語用の枠内に収まるとしている。

 それに対して、ビトリアやそれに引き続く「第二スコラ学派」[5]は、唯名論主意主義の影響を受けつつ、主体の権利を認めたという見解もある。そして、この解釈の中でも、従来の伝統との関係について解釈が分かれている。Villeyは、ビトリア等の見解はトマス・アクィナスのそれに対する裏切りであると述べるのであるが、そうではなくアクィナスの著作の中に内在していた人間の権利についての教説をビトリアが明確にしたとする解釈も存在する。

 後者は既に、ビトリアの講義録の編纂者であるウルダノス[6]の時点でも述べられており、哲学史的にビトリアがトマス主義の復権ないしは伝播に貢献しているとされていることからも、頷けるだろう。

 

 比較的新しい研究だと、タックの研究が[7]、スペインのドミニコ会士の著作においてiusが客観的な意味で用いられているとの評価を下し、デッカーの研究[8]が、タックを批判してビトリアの主体の権利に関する議論を強調した。それに対してブレットの研究は[9]、デッカーの議論はあまりにもビトリアの教説に近代的なものを読み込みすぎているとして批判している。

 

 個人的にはdominiumの扱いなどにおいてブレットはむしろそれ以降の政治思想における所有論を引っ張っているような印象が自分にはあり、逆にデッカースはかなり穏当な解釈に映る。

 ここでは自然法理論に絞っているのでとても簡潔なものになるが、清貧論争の残響や教会論、公会議論の連関からビトリアを扱うことは、70年代にスキナーがデカイ声でビトリアを扱って以降は多少なされており、その側面の紹介がTINRではなされていないのが勿体無い。ちなみに2017年に出たサラマンカ関連の論文集の最初の論文は、以上のような文脈がいかに16世紀の思想に影響を及ぼしていたかをざっくり説明しているので一読の価値あり(今後紹介するかもしれない)。もちろん当該研究でオッカムを扱っている以上そこへの目配せをしてないわけがないうえ、教会法からのアプローチがとても強いティアニーにそこが欠けていると非難するのは何か倒錯した営みだろう。多分他の研究で述べているはず。

 

 やはり全ての研究読まないといけない。日本人研究者で気に入った人がいたら入手できる範囲で全部読むことはたまにやるが、海外だと読むスピードもあり難しい。ポーコックの著作については6割くらい読んだがティアニーはまだ3割くらいだろう。

 

 最後はセネカの言葉で締めておこう。

 

Probatos libros semper lege. 読むべき本を無限に読め!(意訳)

 

[1] The Idea of Natural Rights

[2] というかおそらく現在もそうであるが

[3] ビトリアについての説明は今回しない。確か講談社学術に入っている稲垣先生の『トマス・アクィナス」に一瞬だけ言及があったはずで、特に強い興味のない人はそこの記述で十分だと思う。

[4] この中世まではiusは客観的な秩序を指して近代からは権利みたいな意味が出てきてみたいな見解についてティアニーはこの著作の序盤で、その起源とも言えるMichel Villeyの研究に向き合いつつ、かなり批判的に検討している。

[5] サラマンカ学派とほぼ同じものを指すと考えていいだろう。

[6] いわゆるウルダノス版

[7] 1979年のNatural rights theoriesのこと

[8] 1991年のGerechtigkeit und Recht

[9] 1997年のLiberty, right and Nature