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読書録、学んだ事のまとめ 

F.Beiser “German Historicist Tradition” Introduction : The Concept and Context of Historicism 全訳に近い内容把握 途中まで

F.Beiser “German Historicist Tradition”

Introduction : The Concept and Context of Historicism

pp.1-10 まだ続きがあります。 

 

1 知的革命

1-1

“歴史主義の成立”のノスタルジックな前文において、マイネッケは、歴史主義が西洋思想における最大の知的革命のうちの一つであると述べた。歴史主義が知的革命であると、マイネッケは信じていたのだ。歴史主義は、古代から中世を通して蔓延していた従来の思考法を、18世紀中旬より始まる、新しい歴史学的思考法で転換したと言うのが彼の見立てである。旧来の非歴史的志向は人の道徳性や理性を絶対的で、どこにおいても同一であり、変わることはないとみなしていた。新しい歴史的方法はそれを相対的で、変わりうるものであり、それぞれ固有性をもつとみなし、歴史的事象の原因や価値、信念、行為がコンテクストに依存することを示した。そのため、価値のその時代や状況を離れた普遍化は不可能であると言うのである。

1-2

現在マイネッケはあまり顧みられなくなったが、歴史主義の重要性を否定する議論はそれほど存在しない。仮に私たちがマイネッケのテーゼを受け入れるとしてこのような問いが生じてくる。歴史主義とは何であるのか、歴史主義者とは誰のことを指しているのか、その思考法の核心は何であるのか、どのようにして彼らは自己を正当化していたのか といったものである。

1-3

歴史主義に定義を与えようとする試みはたちまち大きな障害に悩まされることになる。その語のもつ多義性というのがそれであり、様々な、時には対立するような方法で用いられてきた。例えば、歴史の一般法則を描く試みとして定義されたり、それとは反対に、そのような法則の存在を否定し、固有の一回性をもった出来事として歴史の固有性を知ろうとする試みを指すこともあった。このように対立的な用法が存在する中で統一した核心の存在を仮定する訳にはなかなかいかない。

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そのため、歴史主義に対しては記述的な定義を諦め、規範的(prescriptive)に定義を与えることで満足せねばなるまい。規範的な定義は、我々の探求を促進する形で行われる。我々の関心は、マイネッケの言うところの知的革命の起原を辿ることであるからして、その目的に合わせて定義する。そのためにも、彼の言うところの革命に寄与した歴史主義者達に基づいて定義を行う。

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私たちの定義はトレルチに従ったものとなる。彼は、否定的な面を捨象すれば、歴史主義は以下のように定義されるという。”歴史主義とは、人間や文化、価値に関する思考の根本的な歴史化である。”思考の歴史化とはいかなるものであろうか。トレルチはそれ以上の定義を与えてはいないため補足を行う。つまり、文化、価値、制度、慣行、合理性といった人間に関わるもの全てが歴史により形成されてきたという思考に身を置くことである。そこには歴史的変化に絶対的に堪える普遍的なものは存在しない。つまり、人間事象に不変なもの、可変なものといった区別は存在し得ないのだ。それらは固有のコンテクストに依存する外ない。ヘラクレイトス主義的な流動の思考というわけだ。

 

 

1-6

今行った定義はあまりに形而上学的ではないだろうか?歴史主義が„Weltanschauung”,世界観の一つに過ぎないことは自明である。それは、近代科学に力を得て生じてきた、自然科学に匹敵する人間世界の科学を立てる為に出現したものである。歴史主義は二つのドグマが存在する。1.人間事象の全てにはその生成に十分な原因が存在する 2.その原因は全てコンテクストに依存した、歴史的なものである。

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非常に大雑把に見ると、歴史主義は自然主義に対応する存在である。自然主義が自然的世界に存在する全てを原則として科学により説明可能であると述べると同様に、歴史主義は歴史的世界に存在する全ては原則として科学によって説明可能だと主張する。そして、自然主義が最終的に自然史を描くにおいて、安定した不変の種の存在を否定することと同様に、歴史主義は不変の人間本性といったものを否定する。歴史主義は自然主義の自然史の手法を利用し、人間事象に適用したのだ。

1-8

自然主義との類似があるとしても、歴史主義は自然科学の法則や方法の人間世界への適用といったように、単にその一種、模倣なのではなく、歴史主義者は、必ずしも自然界と同様の方法や、法則で説明可能であると主張する訳ではない。実際歴史主義者内部でもそれらが同様であるかは一概に定まっていない。

1-9

歴史主義は自然主義に反対して、歴史学的知識はユニークなものであり、自然科学のそれとは異なると主張してきた。マイネッケ、トレルチなどはこの立場を採用する。しかしながらここには重大な2つの問題点が存する。

1.実際のところこのような立場は歴史主義者においても少数派である。19世紀後半のドロイゼンやディルタイもこのような立場を取り、彼らの理解(Verstehen)という方法を自然主義に対立するものとして構想してきたが、彼らの方法論から歴史主義を定義するのはこの語の他への応用が困難となり、歴史主義者はこの二人に限られると言わざるを得なくなってしまう。

2.歴史主義は18世紀の、ニュートン力学の方法と法則を歴史に適用することで”人間の科学”を構想する自然的方法論に端を発するものであり、クラデニウス、メーザー、ヘルダーそしてフンボルトはこのような方法論の一大旗手であった。これらの歴史主義者の根源的役割は後世の歴史主義の研究者-特にマイネッケからは小さく見積もられてしまった。そのため、歴史主義と自然主義の明確な相違を主張するためには、彼らを歴史主義の伝統の外にあるものとみなさなくてはならなくなるが、そのような帰結は受け入れ難い。自然主義との対抗はドロイゼン、ディルタイといった後世の歴史主義から生じてきたものであり、反自然主義的に歴史主義の定義を与えることはアナクロニズムに陥る。

 

1-10

加えて、歴史的変化がいかなる事象にもつきまとう という歴史主義の中心的テーゼは二つの原理を伴う。

1.個体性の原理 この原理は歴史主義の伝統で大きな意味を持っており、その意味はその時々のコンテクストに依存しているが、一般的な定義するならば、歴史的の主題の決定や、歴史学の探究の目標というものは個体的であるということだ。例を与えるならば、特定の人、行為、文化や時代は特定の時間と場所において存在しているということだ。この原理はプラトンアリストテレスにまで遡ることができるが、歴史主義者はそれに新しい意義を与えた。物事の個体性は、物事が個々の相違に関わらず存在する普遍性や、法則がそうであるのと同様の意味で、科学的な対象であると主張したのである。

2.ホーリズム 非常に大ざっぱに定義すれば、全体は部分に先立ち、それら部分に還元できないという主張である。ヘルダーからウェーバーまで、ホーリズムは歴史主義に特徴的であった。歴史主義者は個々の人間が自己充足的な存在でも、独立している訳でもなく、彼らのアイデンティティや存在それ自体が歴史的、社会的、文化的な全体世界における位置づけに依存すると主張した。このホーリズムの主張に従えば、社会や国家などは、単なる独立した部分の集合体、構成物とみなすわけにはいかなくなり、相互に依存し合った要素から成る不可視の全体、結合というものを仮定することになる。全体は部分に還元できるとするアトミズムは、古い機械論的思考の産物として否定される。これら二つのテーゼは連関し合っている。個体は還元されない全体として理解され、それら全体は個体として理解される。

 

1-11

更に歴史主義には、古い哲学的前提、14Cのオッカムより発する唯名論を基礎においており、歴史主義者達は、様々な方式でそれを受け入れた。それは、普遍というものを、精神の構成物とみなし、独自の実在性を認めず、物に内在するものともしないという立場である。この立場は、変化、流動がいかなるところにも存在しており、永遠の形相の否定を行い、個物を優先させると言うという方法論に適合的であったため、歴史主義に資するものであった。唯名論の立場に立つことにより、歴史主義は、歴史家が、精密性、明確な因果関係の把握や、特定の事物にはそれ独自の具体化の方法を取るように促した。特定の思考、意図、信念の意味や目的というものは、それを具体化した言葉や行為、特定のコンテクストに依存しており、そういった具体化されたものは、共役不可能であるため、人間本性に対して単一の形相などを見出すことはできないのであり、特定の時や場所に従った表現、具体化を離れて価値や本性について話すことは単なる抽象論に終始してしまうというのが彼らの主張である。

 

1-12

歴史主義の唯名論的要素は、広く行き渡っており、根幹に関わる物であるのにしばしば見落とされてきた。むしろ、彼らのホーリズム的側面から、形而上学的傾向が強調されてきたのである。確かに、ホーリズムは、抽象的普遍的な実在が個物とは独立に存在していることを肯定しているとみなされ、唯名論に敵対的だと考えられてきた。一見するとこの主張は正しそうに映る。個物のみがそれ自体で存在していると考える唯名論に立つならば、全体という物は部分の構成する抽象観念に過ぎないというべきに思われる。しかし、ホーリズムの立場において、部分と独立した全体の実在を措定することは必ずしも必要ではない。全体は実のところ部分によって存在すると主張してよい。ただ、理論において説明的に部分に先行して存在すると主張することはやはり可能である。歴史主義者が、両者を両立させることは可能であり、彼らを本質主義、抽象的対象を実在すると見做しているとして非難することは些か的外れなのだ。

 

2 科学としての歴史学

2-1

歴史主義は抽象的な知的潮流に留まらず、人間世界に関わる思考を歴史に基礎付けようとするものである。それらの伝統を一貫したものとして認識させるものは、彼らの方針、目標、企図によるのだ。方針は、単純だが熱意に富んでいる。歴史に、科学としての正統性を与えることであった。それは、歴史を科学に変質させるということではない。-おそらくルネサンスの時点ですでにそれは成し遂げられているのだ-そうではなく、歴史を科学足らしめているものを明らかにしようとすることを意味していた。歴史主義の思想家は、自然主義反自然主義のどちらに他党とも、歴史の科学的地位を正当化しようとした。ここで言われるところの、「科学」とは、独語の„Wissenschaft”の意味に相当し、広い意味を備えている。„Wöterbuch der philosophischen Begriffe”に従うと、「整序された、知識獲得の方法」という定義があるが、これは適合的だろう。詳細な定義においては、歴史主義者間で相違はあるが、同様に、歴史学の科学としての地位を確立しようとした。歴史主義による知的転回は、同時に新しい歴史への姿勢を備えており、それは、歴史は自身の内的な正当性でもって、科学たりえ、新しい自然科学同様の尊重を得られるということであった。

2-2

アナクロニズムを避ける為にも、私たちの先入見であるところの、近代的、実証主義的な科学の概念を歴史主義者による定義に持ち込まないようにしよう。その概念とは、科学と人文学(art)が対立するというものである。歴史主義者は、歴史を科学として鼎立しようとしたが、それが人文学としての地位を放棄するものとは全く考えていなかった。主要な歴史主義者達は、歴史学は人文学と科学、両者のもとにあるものとみなしており、ドロイゼンのみが、人文学と科学を確然と区別したが、それは有力な説とはならなかったが、人文学と科学の関係は、彼らを立場において分かつことになるだけの問題となった。しかし総じて、歴史学が科学であるために人文学とは異なるという主張を導くことにはならなかった。もう一つの先入見は、歴史の成果が、歴史家の地平に全く依存せずに妥当性を有する。というような、完全な客観性を記録できるときにのみ、歴史が科学であると主張できるといったものである。クラデニウスにより歴史主義の伝統が創始された際でさえ、歴史は科学たりえるが、依然として地平に拘束されたものであると主張された。歴史家の立場に立つことによってのみ妥当性が得られるといった主張がそれである。このような、ある観点に依存していることは、歴史の科学たる地位を脅かすものではなく、支えるものであった。知識は依然として、視点に依存して存在しているものであり、その相対性を自覚することで初めて、絶対的、超越的な立場に立った主張を行うことに伴う誤謬を回避できるのである。この議論は更に進んで、ヘルダー、ジンメルウェーバーや新カント派によって、様々な形式を与えられた。歴史学は、客観性を要求するかという議論は、歴史主義者たちにとっては一般に想定されるものとは別の問いを意味していたのだ。故に、私たちはあらゆる伝統を客観性と言う素朴な概念に基づいて均質化してしまうことはしないようにしよう。そうするならば、歴史主義の全伝統を、ランケが誤解して捉えたものと同様のものにまで狭めてしまうことになる。

 

2-3

歴史主義の企図において科学の概念がいかようであろうと、その試みは、歴史学的というよりは自然科学的なものであった。歴史学の科学としての地位を正当化する際に、認識論的な問題を主張することは重要である。歴史学における知識というものはどのようにして可能になるのか?自然科学における知識との相違は何であるのか?客観的な歴史学的知見は可能であるのか?歴史学と人文学との関係は何であるのか?そのような疑問を考えてみると、歴史主義者達の関心は、一次的な歴史学ではなく、歴史研究の方法論や、歴史記述の方法や基準といった二次的なものに向けられることは明白であった。そのため、歴史主義とは本質的には哲学的な伝統であるのだ。18世紀後半より、歴史家が哲学的に考察を行うようになり、哲学者が歴史について考察するようになっていったのだ。

 

2-4

哲学的な伝統であるからと言って、歴史主義が歴史哲学における目標や問題と同視されてはならない。歴史主義の伝統は本質的には歴史学的知識の二次的考察を含んだ認識論的な思考であり、歴史の法則や、目的、意味といった一次的思索を含んだ形而上学的なものではなかった。歴史主義者はしばしば、歴史哲学への批判者であり、そのような形而上学的性質は、歴史学の科学としての性質を損なう物であると警戒していた。未だに強く残っている歴史主義を歴史哲学と同視する考え方は改められねばなるまい。

 

2-5

主な歴史主義者は、歴史主義の認識論的構想に着目することで見分けられる。彼らは歴史学の科学としての身分を正当化するために貢献した歴史学者であり哲学者でもあった。クラデニウス(1710-59),メーザー(1729-94),ヘルダー(1744-1803),フンボルト(1767-1835),サヴィニー(1779-1861),ランケ(1795-1886),Moritz Lazarus(1824-1903),ドロイゼン(1838-1908),ヴィンデンバルト(1848-1915),リッケルト(1863-1936),ラスク(1875-1915),ディルタイ(1833-1911),ジンメル(1867-1918),そしてウェーバー(1864-1920)である。

2-6

もちろんこのリスト以外の多くの主要な歴史主義者がいることは疑い得ない。ゲッティンゲンの古典主義者達などはその典型だろう。しかしながら、私たちは歴史学の科学としての地位そのものの生成を負うのではなく、それを正当化しようとする伝統を追っていくのであり、そのため、少なからぬ哲学者がリストに含まれ、歴史学者が含まれないという事態になったのである。

2-7

ヘーゲルマルクスは歴史主義者ではないのだろうか。実際彼らを歴史主義の伝統に位置づける研究は多い。それは恐らく確かであろう。しかし、彼らの貢献は歴史哲学において大きいのであり、更には、歴史学の科学としての地位を正当化しようとしたというより、歴史学を自然科学に近づけようとした者であった。実際、フンボルトディルタイは歴史が科学たりえると言えるのは、ヘーゲル主義の呪縛を断ち切ることにより可能となると主張していた。ヘーゲル主義、そこに含まれる弁証法の概念は彼らにとっては推測的性格が強すぎ、形而上学的であった。後にリッケルトウェーバーらが類似の理由でマルクス主義を非難することにもなる。マルクスも結局唯物論形而上学の基礎付けに多くを負っている為に。

 

2-8

歴史主義を今回は歴史学の科学的地位の正当化を試みる思潮と定義するからして、歴史学的方法に対する特定の見方を意味してはおらず、今回取り上げる歴史主義者においては、歴史学を自然科学と類似のものとみなすことに肯定的、否定的両方の立場を取る者が含まれることになる。

2-9

このように広い概念を扱うことによって私は、広く理解されている意味での歴史主義の定義に伴う問題を回避したいのだ。先に述べたような歴史主義を歴史の一般法則や目的といったものを希求するといったものと同視したり、それとは真逆で歴史への相対的視点を意味することや、解釈学の伝統とみなすことというのは全て、定義において狭過ぎると私は考える。

 

2-9

歴史主義の定義の正当さを検証するには、マイネッケの言うところの知的革命に貢献した思想家が全て含まれているかをまず考えなくてはいけないと私は考えた。他の定義においては少なからぬ思想家が除外されてしまうのだ。今回採択する広い定義は他の研究者も暗黙の内に前提としていたものなのである。